材料の解析において、各原子の荷電状態を知りたいことがあります。これは第一原理計算から求まるべき量ですが、ただ一つの定義はありません。例えばPHASE/0には、原子ごとの状態密度を得る機能(原子分割局所状態密度)が備わっています。この機能は、実空間をボロノイ多面体(原子を両端とする線分の垂直二等分面で構成される多面体)で分割し、各多面体内部の価電子をその中心に位置する原子に帰属させて、原子ごとの状態密度を評価します。状態密度をフェルミエネルギーまで積算すれば、各原子の荷電状態がわかります。これは正しい評価手順の一つですが、あえて弱点を挙げると、各元素のイオン半径の違いが考慮されません。
Bader電荷解析はこの弱点を克服した手法です。第一原理計算の結果得られた三次元電荷密度分布を入力として、原子と原子の間の、電荷密度が極小値をとる位置を境に実空間を分割し、境界内側の電荷密度を各原子に帰属させます。
PHASE/0で求めた電子状態計算結果を利用したBader電荷解析の例として、ITO (Indium Tin Oxide)を取り上げます。酸化物透明電極として、実用上はアモルファス状態で利用されることが多い材料ですが、ここでは化学式In2Sn2O7で表される単結晶(Fd3m)を対象とします。この物質はIn2O3一つにつきSnO2が二つ組み合わされたものとみることができ、形式電荷はIn, Sn, Oの順に、+3, +4, -2です。(一方、透明電極のSnO2比率は10%以下程度です。)
Bader電荷解析の結果、各元素のおおよその荷電状態はInは+1.9、Snは+2.4、Oは-1.2となりました。Oには二つの異なる原子位置がありますが、Bader電荷に有意な違いはありません。
Bader電荷解析は計算負荷が軽く、直感的にわかりやすい優れた手法ですが、擬ポテンシャル法と組み合わせると物理として正しくない結果が得られることがあり、注意が必要です。
SiCは、炭素とシリコンから成るワイドギャップ半導体です。両元素ともⅣ族ですが、電気陰性度の差に起因して電荷の偏りが生じるので、その様子を第一原理計算の電荷解析により評価します。SiCには多数の結晶多型が存在する中で、ウルツ鉱型の2Hを解析対象に選びました。
C Si
C Si
PHASE/0の結果を使ってBader解析を実施すると、Cが-4価、Siが+4価との結果が得られます。すなわち、Siの価電子が全てCに帰属していることになり、正しい現象を反映しているとは思えません。この原因は「擬ポテンシャル法」にあります。同法は内殻電子を露わに取り扱わないので電荷密度を特に原子近傍で過小評価します。この例ではSi原子近傍の電子密度が過小評価された結果、原子の境界がSi原子直上に設定され、Si原子の占める体積がゼロになってしまいました。電荷密度分布を右図左に示します。確かに電荷密度はSi原子に向かって単調に減少しているように見えます。比較のために、全電子計算で求めた電荷密度を併せて示します。こちらは内殻電子を含む計算ですので、Si原子近傍で電荷密度が高くなっており、Baderのアルゴリズムで適切に領域分割できそうです。
PHASE/0 | 全電子計算 | |||
---|---|---|---|---|
元素 | Bader | ボロノイ | Bader | ボロノイ |
Si | +4 | +1.18 | +2.63 | +1.13 |
C | -4 | -1.18 | -2.63 | -1.13 |
擬ポテンシャル法と全電子計算で求めた電荷密度について、それぞれBader電荷解析とボロノイ分割による原子の価数を左表にまとめます。ボロノイ分割の結果は、第一原理計算手法に依存しません。内殻電子の関与がなければ擬ポテンシャル法は全電子計算と同じ結果を与えます。一方、全電子計算のBader電荷とボロノイ分割の結果には、原子境界位置の違いが如実に現れています。
なお、現在のPHASE/0には本問題を克服する機能が備わっており、全電子計算と同等な解析が可能です。
第一原理計算による受託解析を承っております。
電子状態を求めるだけではなく、各種解析ツールを援用して計算結果を解釈します。各種課題への適用可能性につきましては、お気軽にお問い合せください。